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ハイジーア通信 クリニックハイジーア

東洋医学

2006年01月18日


以上が、

 

 

を、稚拙ながら私なりに要約し解説(恐れ多くも・・・)を試みたものである。


 


 

 

この本を最初に読んで、私が発した感想。

 

 

 

「・・・・・・・・・・、

 








カッコイイ!!



 

である。


私が言葉でうまく言い表すことが出来なかったことや、疑問に対する答えが、そこにはあった。

この考え方が絶対とは言わないが、私にはとっても腑に落ちたのだ。

(この「腑に落ちる」ということがとっても大事なことなのだ)



私は経絡を学んで(私の場合は鍼灸を通じて)、人の体の見方がものすごく変わった。

同じ東洋医学でも、湯液(漢方薬による治療)だけをやっていた時とはまた違った目線になった。

体は言葉以上にいろいろなことを表現しているのだ。

漢方薬は家に帰ってしばらく飲んでもらわないと効果がわからないが、鍼灸の場合はハリやお灸を一つ一つするたびに、脈や体の反応がダイレクトにわかるので、手応えがあってとてもエキサイティングだ。

それは、生きている人間の体の面白さ、素晴らしさを、とてつもなく実感できる作業と言える。

心をカラッポにして、相手と一緒にいて、表情、脈、皮膚の色・艶・緊張度、体温、筋肉の硬さ、呼吸の深さ、そういったものを見ながら、感じながら、相手の体に触れ、治療をすることは、西洋医学的な触診やボディタッチとは全く異質のものだ。

超音波検査やCTなどの、目に見えない臓器の様子が視覚的にわかる先端の科学的な検査よりも、より深いレベルで、その人に近づいている、その人に触れている、という感じがする。
不思議だけど。



こんなことを書いていると、私のことをアンチ西洋医学の医師と思う方もいるかもしれないが、決してそんなことはない。むしろ必要不可欠なものだと思っている。エコーもCTも、もちろん素晴らしい検査方法だ。

私はただ、人の体の見方はそれだけではないよ、こんな方法もあるよと、ノンシャランと言いたいだけである。

全国に27万人いるといわれる医師の中に、何人かこんな変わった医師がいてもいいだろう。



内容が内容だし、専門用語が多いし、私には腑に落ちるけど独特の考え方だし、果たして正しく内容が要約できているかどうか全然自信がないのだが、東洋医学のスピリットとでもいうものを、少しでもお伝えすることが出来ただろうか?



最後に、この本には、実際に経絡を感じる方法が書かれている。


「正しくツボをとらえているか否かを判断するのは、指圧した指を相手が局部的に感じるか、深部にヒビクものとして感じるかで見分けられる。ツボをおさえている側の感覚としては、その点の性状(硬軟、コリ、抵抗、弾力性)を指先に感じるか、あるいは手から腕、あるいは肩の方まで何かヒビクモノを感じるかで分ける。前者は触覚であり、後者がツボをとらえているのである。一点ではこの差を判別しにくいので、あるツボをおさえたら、もう一方の指で同じ経絡のツボ(はじめになるべく近接したほうがよい)を同様に押さえる。この二点が、二点と感じたらそのおさえ方はツボの上を押しているので、ツボにはまっていないのである。二点をおさえているにもかかわらず、それが二点ではなくて、その周囲にひろがった面のヒビキのように感じられたとき、それが正しくツボにはまっている証拠である。」


詳しくは本をお読みください。(もう疲れた)

面白いのでぜひお試しあれ。


増永静人先生創設の指圧の治療院

医王会指圧センター

http://www.iokai.co.jp/top.htm

2006年01月17日


増永氏はこの本で、もうひとつの重要な東洋医学の特質についても述べている。 東洋医学の治療の根本は、経絡の異常を診断して調整をすることであるが、その基本は患者の体に触れることである。手を当て、異常を察知し、そして手を当てている行為そのものが即治療となる。その際の診断は、西洋医学の触診とはまったく意を異にするもので、これを切診と呼んでいる。

「近時この切診を応々西洋医学の触診と混同して理解されているようだが、触とは自他対立の感覚であるのに反し、切は接であり自他共感の支えによって成り立つことが忘れられている。切脈の場合に指先にふれているのは、その脈管の状態ではなくて、そこから全身の状態を共感する感覚である。触覚が高等な判別性感覚によっているのに対し、切診に働いているのは原始感覚による生命共感なのである。」

氏は、東洋医学と西洋医学の本質的な違いは、治療者と患者の間に起こる生命を持つもの同士の「共感」にあるという。言い換えれば心の交流といってもいいだろう。詳しくは省略するが、西洋医学的な触診に必要とされるものは触覚という判別性感覚であり、東洋医学の切診に必要とされるのは原始感覚であると氏は説明する。治療の対象として病変を見る西洋医学の立場とは違い、東洋医学の特質は原始感覚を用いて患者の体全体の「生命状態を共感」し、その立場を持って治療することにあるという。

「生体の歪みに対して、経穴は内蔵へ向かって液性伝導を行うのであるが、これを人為的に代行したとき、経絡のヒビキがおこると考えるのが妥当であろう。代行の仕方は人為的といっても自然に近い生命的なものでないといけない。経絡を上手に捉えられたのはこの東洋の自然生命観からの必然の帰結であったのだろう。私はこのような東洋の心がツボをとらえるためには一番大切だと考えている。ツボをとるときには探ってはいけない。盲人が手さぐりするのは触覚を鋭敏にし、物を判別しようとするからだが、その疑いの心から科学は発達し得ても、生命を摑むことはできない。生命には生命でもって対しなければならないのであって、ツボを知るのは原始感覚によって感じとるのである。患者の身になってというが、病苦に悩む心を知るのは生命共感のスキンシップである。スキンタッチは皮膚接触と訳されるが、生命共感のタッチとは深く挿入される接合である。皮膚にくい入る安定圧であり、しっかり抱き合う皮膚密着でないといけない。これを端的に示すのが握手である。握手は手の感触を判別するのではなく、手を通して心を感じ合うのである。このような皮膚結合によって生命共感は得られ、その原始感覚を通してツボは実感される。指はツボをおさえるのではなく、ツボに受取られて自づとツボにはまるのである。」

東洋医学的な思想のもとでは、人を治すのはあくまでも人である。皮膚を介した人間同士の心の交流があってこそ、患者の治る力が働くのである。それは決して一方通行ではなく、相互の作用がある。今風の言葉に直せば、インタラクティブな医療、とでも言おうか。不思議なことに実際、治療がうまくいったときは、治療をしている自分までも気持ちが良くなってしまう。これはこのような治療が一方的なものではなく、患者と医療者のコミュニケーション(言葉だけではない)である証拠のひとつだろう。現代医療では忘れられがちな、医療の根源的な部分が、そこにはある。

21世紀は心の時代であるとか、東洋の時代であるといわれるが、このような東洋医学の考え方は非常に21世紀的である、と思うのは私だけだろうか。



まだまだつづく。

2006年01月16日


「経絡というのは、東洋的な生命観に基づく最も根本的な生体調節系統である」と増永氏は定義している。

 

目に見える構造的な人間の体が陽ならば、目には見えないが、本質的な部分で生命活動を支えている陰の働きが経絡である。三次元的な構造(陽)が発達すればするほど、物事の本質(陰)は見えにくくなる。しかし陰が存在するからこそ陽が存在する。動物が死んでも構造(体)は残るから、構造が生命の本質ではない。生きている者のみに経絡は存在するのである。

 

「経絡が生命に固有のものと考えるならば、それは細胞にみられる原形質流動の発展したものと考えるのが適当だろう。細胞が分化したとき外胚葉は皮膚・神経系となって外と内とを連絡した。内胚葉の内蔵もやはり外界との適応・交流のために原形質流動を経絡系統として連絡に当てたとみるのである。この交流・適応ののぞき穴が、皮膚の感覚器のように経穴として開孔していると考えてよろしかろう。」

 

経絡が実際には何であるか、さまざまな議論が行われている。脈管系統なのか、神経系統なのか、云々、という議論である。しかし、氏は「経絡は生命の本質である」との考えから、アメーバなどの原始的な動物に見られる原形質流動が発達したものであるとの仮説を打ち立てている。脈管系統や神経系統は、高度に発達した動物にのみ見られる構造物であるので、経絡が生命の本質的な働きであることを考えると、単細胞動物のような原始的な動物にもその働きがなければ矛盾するからだ。

 

「経絡というのは、東洋的な生命観に基づく最も根本的な生体調節系統である。これに対する治療法は、局部的な経穴(反応点)を発見することではなく、全身的な異常感(虚実)を察知しなければ決定出来ない筈である。切診とはピッタリ皮膚を密着させて患者の状態を知る方法であるが、このような方法では高等な判別性感覚である触覚は働かず、生命を共感する原始感覚が優位になってくるのでる。」

 

経絡は全身の各部をつなぐネットワークとして流動する性質を持っている。その流れと言おうか、陰陽の配分が正しいときに、人間は健康だということができる。その流れに異常(虚実)が生じたときに、ツボという形で体表面に反応が現れてくるのである。

 

つまり、経絡というネットワークを持つ多面体として人体を捉え、その歪みを直すことが東洋医学の治療の本質である。指圧であろうと、鍼灸であろうと、漢方であろうと、経絡の虚実(歪み)を診断し、調整することがその目的なのだ。だから、この病気にはこのツボ、とか、この病気にはこの漢方薬、という病名治療は、形の上では東洋医学的な手法を使っていても、本質的には東洋医学とは言えないということになる。

 

 

 

またまたつづく


長くてすみません。。。

2006年01月15日

増永静人氏(1925-1981)は独特の経絡理論に基づいた「治療としての指圧」を実践し、世に広めた人物だ。
医療者として実践だけでなく、東洋医学の概念や特殊性、生命の本質としての経絡についての洞察を行い、ややもすると西洋医学に追従してしまいがちな、または各々の流儀に固執して全体としての進歩をしようとしない(しているように見えない)日本の東洋医学界に警鐘を鳴らした、当時の東洋医学界におけるオピニオンリーダーでもあったらしい。

 

「東洋医学が未だにその診断を、不確実な人間の五感のみに頼っているということは、それなりの意義と価値があるためで、決して頑なに文明開化を嫌悪し不便で非合理な伝統を固執するからではない。何ごとも合理性客観性をもって存在価値を決めようとする自然科学の傾向に対して、東洋医学は全く別個の価値体系によって構成されているので、同じ方法手段を用いることは出来ないためである。病名診断と証診断の相異は、単にその決定する対象の差にあるのではなく、診察方の内容が既に根本的に異うということからきている。病名とは、科学的に分類された病変部の解剖的変化またはそれを予想させるような機能的障害の種類によって付けられたものだから、この特徴を複雑多様な現象から抽出し、生体に傷害を与えない配慮の下に検査して、多くはその実態を見ずに予想しなければならず、しかも決定されたものは客観的で法則性をもつ唯一のものでなければならぬという条件がある。有名な内科医の誤診率が二〇%程度であったという告白は、この内情を知る者にとっては、むしろその少なさに驚きを覚える数字なのである。」

 

東洋医学と西洋医学の相違について、簡潔に説明するのはなかなか難しい。

私がこの本を読んで感銘を受けたのは、東洋医学の本質、ひいては生命の本質というものについて、経絡と言う考え方を通して、(私としては)とても納得のいくかたちで、述べられていたからだった。

 

「陰陽とは『生命の相反する二つの傾向性』である。」

陽と陰とは、たとえば、日なたと日かげ、男と女、昼と夜、火と水、木の地上に伸びた部分と土の下に隠れた根、など。そしてその相互の関係が、事物の生成発展の原動力となるというのが陰陽思想の考えであり、そのような生命的な陰陽思想に東洋医学は基づいている。

 

「生命は無生の恩慧の下に、生存し発展してゆくが、その中にも無生を含み、反対方向の働きを本質としてもっている。生まれたものは死ぬのであり、昼活動すれば、夜眠らねばならぬ。ものを分かち、自他をわけ、明らかな動きをもつことが体制(動物)神経の役割であるならば、これを支えて環境と同化し、自他を協力させて自然の一様さの中に静かに生を営むのが自律(植物)神経になっている。その自律神経も、体制神経の活動に交感するのが交感神経ならば、これに拮抗しているのが副交感神経であり、副交感がその基調となって生命の活動を支えている。」

 

人間の体にも当然陰と陽の働きがあり、健康なときはそれらが調和を保って存在している。単純に言えば、それらのバランスが崩れたときが、治療が必要なときである。

 

 




つづく。

2006年01月14日

私はとっても変わった医者だ。

現代西洋医学だけでなく、漢方・鍼灸などの東洋医学や、栄養療法なんてものをやっている。

そしてそれを当たり前だと思っている、医者の常識からみたらかなり風変わりな人である。

日本の医者は大体、西洋医学のことしか知らないので、私に言わせればそちらの方がかなりカタブツである(あ~あ、言っちゃった…)。

栄養療法に比べたらまだ東洋医学のほうが市民権を得ているが、東洋医学に対する医師の体温は様々である。

もちろん、自分でハリを打つくらいの東洋医学大好きドクターは私以外にもたまにはいるけど(私の世代では珍しいかな)、理解を示さない人は全く示さない。かなり両極端だ。

漢方薬はエキス剤など一部に保険がきいているからまだ馴染みがあるが、ツボや経絡の話になると、突如として拒否反応を示す場合が多い。

大学病院にいた時、先輩のドクターにツボの話しをしたら、「矢崎はどこへ行っちゃうんだ」という目をされたことがある。

「気」とか「経絡」とか、ありえない話らしい。

まあ医者じゃなくても「ある派」と「ない派」がいるだろうから、当然かもしれないが。

もちろん、私は自然に「ある」と考えている。

そりゃあ「証明しろ」と言われたらできないのだけど、実際に漢方薬やハリやお灸で困った症状が治ってしまうのだから、あると考えなくては説明ができない。

また、実際に存在するのかしないのかと言う議論よりも、その理論を当てはめれば治療に使える、ツールのひとつとして単純に便利だとも思っている。

もちろんEBM(根拠に基づいた治療)という考え方も非常に大切だけど、私自身は患者さんがよくなってくれれば、正直議論の是非などどうでも良い、というところがある。(もともと右脳人間だからか?(^ ^;; (註参照))


そんな人なので、理論的に説明しろと言われると弱いのだけど、見事にその辺りのことを論じている書がある。

 

 

著者の故・増永静人先生は、京大哲学科卒の指圧師という、これまた珍しい方である。



つづく。


 

(註:東洋医学をやっている医師がみんな私みたいなわけではありません。真面目にEBMを追求している方は沢山いらっしゃいます。念のため)



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トーマス・エジソン
(1847-1931)

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